京都の旅

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今日は、ネットカフェです。
隣で、カップルがセックスを始めてます。冗談じゃなく、本当に。ウザすぎる。

そんな今日は、京を見物。
いやぁ、今日は新撰組のように、京の町をとにかく歩いた。

電車の中でずっと、司馬遼太郎の「燃えよ剣」ばかり読んでいたので、町を歩くだけで楽しい。
池田屋跡とか、四条大橋とか、祇園とか、ここで新撰組が暴れまくったのかと想像するだけで、ワクワクしてきた。。

銀閣寺と竜庵寺は、それぞれ500円ずつも払ったのに、工事中だった。最悪。
しかも、観光客ばかりでわびもさびのありゃしない!あるのは、わいわいだけだ!
京都の人口の2割は外国人じゃないかと思うくらい、外人ばかりだった。
尊皇攘夷のさきがけになって、切り殺したくなった。

それに引きかえ、妙心寺法然寺、建仁寺は、だあれも人がいなくって、セミの声だけがただ聞こえ、これこそ求めていた静寂だと思った。

知恩院は、見学しながらずっと慶安太平記ipodで聞いていて、ますますこの落語がやりたくなってきた。

しかし、今日の圧巻は、清水寺の「千日詣り」。
なんとお盆の三日間だけにかぎり、夜になっても参拝できるのだ。
昼間と違い、あまり混雑はしていないので、とても静か。
ライトアップされた建造物には、震えがくるほど美しかった。
そして、清水寺から眺める京都の夜景は輝いていた。
一生ものの、思い出になった。

そして、8月16日は「五山送り火」。
有名な、大文字が見れた。リザードンもびっくりだ。
清水寺から鴨川まで、全速力で駆け下ると、橋の上は人でごった返していた。
見れば、はるか遠く山のふもとに、かすかに「大」の字が見えた。

感慨無量。

鴨川の賑やかな河川敷をふらふらと歩きながら、人生ってすばらしいと思った。
自分の人生はくだらなく、平凡でつまらなく、意味のないものだ思うけれど、たとえつかの間であれ、生きるに値すると思わせるもの、この瞬間のために生まれてきたのだと思うもの、そのようなもののために、自分はこれからも生きるのだと思う。

隣のボックスは、ことを終えたよう。自分も、そろそろ体力の限界。明日は帰ることにしよう。