生者必滅会者定離

日曜におじいちゃんが死んだから、昨日は告別式だった。
おじいちゃんの友達も何人も来たけど、その中でも中学時代の同級生とかいう2人の相手を、なぜか僕がしなければならなくなった。
そして、その二人の人たちが強烈すぎる人たちだった。

1人目は、TBSをつくった人。
「私が、TBSを作りました。今の会長なんてのは、私の部下です」
いやいや・・・ご冗談でしょとか思ったら、本当らしい。
ここで、打算的な回路が働き、この人と仲良くなっておけば将来いいことがあるかもと思い、積極的に話しかけたが・・・この人、耳がすごく遠かった。
この人となにを話したかというと、理科の話。
「私は、今の量子論がわからなくて、毎日毎日うなされているんです。そこで、君に一つ聞きたいんだけれど、どうして原子が熱を与えられると、その周りを回る電子のスピードが速くなるんでしょうか?」

・・・・。知りません。僕、数学しかやってません。

「私は、引力というものが、運動方程式に従うことは知っているんですが、じゃあなぜ引力が存在するかがわからない。君は、なぜだと思いますか?」

・・・・。引力がなかったら、大変なことになるからですよ。

そのほかにも、岩石の話とか、英語の話とか・・・とにかくこの人はなにを考えて生きているんだろうって思った。
でも、もう84歳にもなって、まだ子供のように「なぜなぜ?」と探究心を持ち続ける、その姿勢がすごいと思う。

「君に言っておくけれど、知性を持って生きなければダメだ。知性をもっている人とそうでない人は、30歳をすぎたあたりから顔つきが変わるよ」
といわれた。
たしかに、その人が言えば、説得力がある。さすがは、TBS創立メンバーの一人。



もう一人は、黒門町文楽の弟子とかいう人。
ものすごく落語通で、自分は講釈をやって、今は書道家。生きる江戸っ子。
話し方からして、自然な江戸っ子口調で、面白かった。
「ちょいとね」「するってぇとなにかい」
自然だ・・・感動。

この人は、子供のときは友達が上野鈴本の隣の呉服屋だったらしく、毎日鈴本の楽屋に出入りしていて、そのとき若き日の志ん生文楽にかわいがってもらったらしい。凄まじいエピソードだ。
黒門町とは、死ぬまで親交があったらしく、親友だったらしい。
あと、まだ立川談志が前座の小えんだった時代に、一緒に落語会を6回くらい開いて、自分も講談でバリバリやってたらしい。
「談志は、まだ確か18、19歳で、なんて生意気なガキだとか思ったけど、小遣いやったら喜んでた」
とか言ってた。

もう、とにかくしゃべりだしたらとまらず、僕なんて飲めないのに日本酒ばかり飲まされて、ベロベロにつぶされかけた。
しかも、小言幸兵衛みたいに、とにかく言葉尻を捕えて怒られた。
「おじいちゃんが借りてた落語のテープを返すついでに、家に遊びに行っていいですか?」
「ついでじゃねだろ!テープを返しに来るために来るんだろ!」
「そうです。夏休みの暇なときに行きます」
「暇なときなんて、いうなよ。忙しいけど来ますといったほうが、誠意が感じられるじゃねえか」

「わしは、寄席で一回噺を聴けば、その場で覚えられた。なにをやっても人並み以上に出来るから、自分は天才だと思ってる」

「池袋の、ヤクザとは顔なじみで、あいつらから博打を教わったんだ」
「きみは、若いうちに羽目をはずして道楽しなきゃいけないよ。中途半端なんだ。落語に打ち込みなさい」

「参考になります」
「やだね、参考だなんて、まじめくさっちゃって」

このジジイは、どうすればこんなに言葉が次から次へと溢れてくるんだと思った。

「わしなんて、もういつ死ぬかわからないんだから、今日一日生きていられたことに感謝している。そして、明日は必ずなにか新しい発見があり、自分は成長すると信じている」

なぜか、一緒に野ざらしのサイサイ節を一緒に歌ってた。